2015年1月6日火曜日

グランドクロス街路で農村脱却!in千歳烏山

場所: 日本, 千歳烏山駅(東京)
 今回は世田谷区の千歳烏山駅周辺を街歩きしてきました。

グランドクロス街路、水際の散歩道、廃れた神社などを発見しました! 有名な烏山寺町は…写真1枚だけですけどね。


一応、基本的な千歳烏山の風景も載せますよ。


まずは駅前の様子から。


綺麗な商店街です。

…とはいえ、




それ以上のコメントが思いつかないくらい、普通です。 スミマセン。

駅前には商店街があります。 以上。 って感じ。


そういえば、千歳烏山駅前の商店街「エルモール烏山」は、商店街スタンプ発祥の地なのだそうです。

今は、他の商店街と同じように、チェーン店が軒を連ねてますけどね。



こちらは周辺の住宅街。

…世田谷区らしい、中流以上の一戸建て住宅が並んでいます。

…住宅街の風景も普通だから、2枚だけで、いいか(^_^;)

烏山寺町
烏山寺町


そうそう。 千歳烏山には有名な寺町があります。 烏山寺町ですね。



…実は千歳烏山にきた一番の目的は、烏山寺町で1つ記事を作りたいな…と思っていたのです。




ところが。 実際に行ってみると、確かに寺町の風景は趣があるのですが、景色に変わり映えがしない…

これでは、とても1記事にはならない。 と気が付きました。

(このブログはじめて丸2年経つのに、訪れる前に気づけよ!! と自分でも思います)

農村との決別!グランドクロス街路


ま、寺町で1記事は無理だったにしても、他のネタは見つかったのです!

例えば、これ!


駅前の地図を見て、ここは面白い! ぜひとも、この目で見たい! ていうか、これを見た瞬間、寺町抜きでも1記事作れる!やったぜバンザイヽ(*´∀`)ノ と思いました!

さて、この地図で、私が面白いと思ったのは、どこだと思いますか?



ここです!

「…んあぁ? どこが面白いん?」 という苦情は、受け付けませんっ!



カーブの多い有機的な区画の中に存在する、十字の街路… 地形に対応して形作られた区画の中で、異彩を放つその存在は、まさしく、グランドクロスでありましょう!


この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。
この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1 溝口 昭和41年改測 昭和42年10月10日発行]です。
昭和42年(1967年)の地図を見ると、すでに、グランドクロスは存在します。

昔の地図や航空写真をさかのぼると、グランドクロスが作られたのは、昭和22年(1947年)から昭和31年(1956年)の間である事が分かりました。

( 国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで昭和31年の航空写真を見ると、すでに存在していますし(http://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do?specificationId=685734) goo古地図で昭和22年の航空写真を見ると、まだありません。 ただし、昭和22年の航空写真でも、用地が切り取られている様子がかすかに見える事から、街路の計画は戦前からあったものと思われます )


千歳烏山 八間通り
千歳烏山 八間通り

そして、こちらが、現地写真。

グランドクロスの縦線です。

正式名称は、八間通りといいます。



千歳烏山駅に通じる直線の大通りです。



私には、このグランドクロス街路は、農村から街への跳躍の象徴に見えるのです。

周囲の地形とは無関係に、東西南北をぴたりと合わせて作られたそれは、土地と共に生きる農村から、高度な文明と共にに生きる街へと、舵を切った証に見えるのです。


高度経済成長まっただ中の日本。 その輝かしい未来の中で、この村も街に生まれ変わる… そのシンボルと、利便性を兼ねて、大通りを作りたい! 完成当時の街路と街並みを想像すると、そんな夢と希望も、感じられます。

だからこそ「グランドクロス」というネーミングが、ぴったりだと思うのですが、どうでしょう?


川の跡も歩いてみたよ


この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。
この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1 溝口 昭和41年改測 昭和42年10月10日発行]です。
河川の跡にも注目してみましょう。


河川は暗渠化され、歩道になっています。




「農村から街へ跳躍した私達に、もう川は要らない! あと、臭いし」

と言わんばかりです。


とはいえ…

文明生活を手に入れても、川の風景は忘れたくはない… 川の名残は残しておきたい… それが人間というものでしょう。

その要望に応えるためか、橋があった所には、橋の名前が記されています。

昔からの住民だけではなく、夢のマイホームと共に引っ越してきた新しい住民も、橋の名前を見つける事で、ここが川だった頃の様子を想像できるわけですね。




…ただ、歩道のネーミングは、ちょっと、どうかなぁ…

「水際」って、ネガティブなイメージありません? 「水際で食い止める」とか「生活保護に対する水際作戦」とか、あまり良くない事象に使われる言葉だと思うんですけど。


立派な参道も、今は昔。 廃れた稲荷神社




神社を見つけましたが…なんか、様子が変です。


入り口も、開放されているのか、いないのか、中途半端な状態。

…でも、入ってみました。


転倒防止でしょうか。 石灯篭には針金で支えがしてあります。


お稲荷様が祀られているようです…

が、維持管理する人がいなくなってしまったのでしょうか。


かつてはここに石畳があったのでしょう。 立派な参道です。

でも、支える人がいないと、廃れてしまう…

考え方を変えれば、市街地化と時代の流れにより、神社の必要性が薄れ、役目を終えた。 という事ですけどね。



廃れた神社を23区見つけたのは初めてかもしれません… いや、練馬区の土支田、稲荷山公園でも、手水舎の石桶だけ残っているのを見つけたので、これで2回目ですね。

まだ都心では見た事が無いので… もしかしたら、都心の真ん中よりも、地方のほうが、神社仏閣の引き継ぎと維持管理の問題は深刻なのかもしれません。



ま、都心だったら、きっぱり壊して、そこにビルなりアパートなりを建ててしまうほうが、合理的かつ経済的なのかもね。








締めの写真。

廃れた神社は初めてではなくても、鳥獣保護区の看板は、初めて見ました。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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