2014年8月15日金曜日

埋め立てでできた清新町・臨海町。埋め立てる前にあった将監の鼻

場所: 日本, 東京都江戸川区清新町
今回は江戸川区南部の、清新町と臨海町の風景をお届けします。 元々は遠浅の海でしたが、葛西沖開発事業により、埋め立てでできた街です。

町境にあるくねくね道は、かつての海岸線の跡。 そこには、昔の堤防が残され、将監の鼻の碑もありました。


あと、最後のオマケは、西葛西駅前の像。 かつて一世を風靡したピン芸人を連想させます。



ちなみに今回の記事も蔵出しです。 …だって夏は暑いんだもん(>Д< ;) 東京の夏は灼熱地獄といっても過言ではありません。 なので写真は今年の春です。 でも、ま、3か月なら、許容範囲ですよね。(自己弁護)

埋め立ててできた清新町と臨海町


西葛西駅
西葛西駅
清新町と臨海町は、東京メトロ東西線の西葛西駅から南にあります。


昭和47年(1972年)から開始された葛西沖開発事業により誕生した街で…

清新町は居住エリア。 臨海町は物流エリアであります。


街中には、ゆったりとした水辺も。

あえてすべてを埋め立てず、水辺を残したわけですね。


ゆっくりサンドイッチなどを食べながらここで過ごす休日…

素敵そうじゃないですか!?



清新町は団地の街



事業地の北側には団地が造られ、清新町と名付けられました。

(清新町って、いかにもな瑞生地名ですよねぇ)




うん、いかにも、清く新しい街って感じです。

(書くことが無い!)





臨海町は物流の街


臨海町には物流センターや倉庫が立ち並んでおり、メインストリートでは大型トラックが忙しそうに先を急いでいます。


…ま、物流センターの写真は、2枚だけで、いっか(^_^;)

将監の鼻の碑を探せ!



この道は、やたらとくねくねしてます。 しかも町境です。 この道の正体は?

この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。
この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1 東京南部 昭和41年改測 昭和42.10.10発行]および
[2万5000分の1 浦安 昭和41年改測 昭和42.10.10発行]です。
昭和の地図を見れば一目瞭然、この道は昔の海岸なのでした。

これは昭和41年(1966年)の地図です。 その10年後には、現在の清新町と臨海町にあたる陸地が生まれています。 (今昔マップで確認できます



これが、その、くねくね道。

道路脇の造りは、堤防っぽいですよね。

江戸川区 旧海岸堤防
江戸川区 旧海岸堤防

…と思ったら、なんと、昔の堤防が、部分的に残されているじゃないですか!

「旧海岸堤防」と、しっかり書かれています。


昔はこの道路に沿って、この堤防が造られていて、さらに、その先は海だったんですねぇ。

堤防の先に広がる海が想像できます。





さらに、あの白い大きな石が怪しい!

きっと、地域の歴史を伝える碑文や案内板があります!


…と思って、ぐるっと回ってきましたが、めっちゃ遠かったです(>Д< ;) 途中に横断歩道など、全然ないんですもん。

将監の鼻
でも大回りした甲斐がありました。

将監の鼻。 初めて知りました。



ここは昔は遠浅の海で、将監の鼻という名前がついていたそうです。

堤防が造られたのは、戦後数年の間に襲来したカスリーン台風とキティ―台風のせい。 堤防ができる前は潮干狩りや海水浴が楽しめる場所で…

堤防の建設は昭和26年(1951年)に始まり、完成したのは昭和32年(1957年)。



Wikipediaによると葛西沖開発事業の埋め立て開始は1972年との事なので、この堤防が活躍したのは約20年という事になりますね。 …長いとみるか、短いとみるか。



西葛西駅前に某ハードゲイっぽい像が



オマケです。

フォー!


…このポーズは! 2000年代のお笑いブームの頃に一世を風靡した、某ハードゲイの方のポーズじゃないですか!? なつかしい!



今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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