2014年6月14日土曜日

成田は千葉県だけではなく杉並区にもある

場所: 日本, 東京都杉並区成田東
杉並区の成田地区周辺に行ってみました。 …理由? そんなの無いですよ。

成田といえば千葉県の成田空港ですが、東京23区にもあるんですよ。

成田の町名の由来。 阿佐ヶ谷住宅の跡地、など。


成宗+田端=成田 なのか?



そんなわけで(どんなわけだ?)、杉並区成田の風景です。


杉並区の成田は住宅街です。 一戸建てが主ですが、善福寺川沿いには集合住宅も目立ちます。


こんな、広い原っぱもあります。

昔の航空写真のよると、この原っぱは、荻窪団地の跡地のようです。

「荻窪団地」で画像検索すると、老体と言わんばかりな団地の写真がいっぱい出てきますので、気になる方は、どうぞ。

シャレール荻窪 建屋の番号もシャレール
荻窪団地の一部は「シャレール荻窪」なる、洒落た団地に生まれ変わっています。



シャレールの先には、木漏れ日の緑道もあり…


高級そうな立派な家も目立ちます。

やはり、人気の杉並区。 といった所でしょうか。


…おっ。 これは、昔からある神社ですね。

成宗須賀神社。とあります。 この「成宗」は、昔の町名です。

この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。
この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1 東京西部 昭和41年改測 昭和42.10.10発行
]です。
昭和40年頃の地図を見ると、成田地区は「成宗」と「西田町」「東田町」という名前だった事が分かります。

…なるほどぉ。 という事は、成田地区の名前の由来は、成宗と田町を足した。という事でしょうか?

この地図は{今昔マップ on the web(c)谷 謙二}{国土地理院 電子国土Webシステム}{カシミール3D}を使用しています。
この地図画像の元である地図は、国土地理院の地形図[2万5000分の1東京西部 昭和4年二修 昭和6.6.30発行]です。
しかし、さらに時をさかのぼり、戦前の地図を見ると、田町という地名は無く、代わりにあるのは「田端」

という事は、成田の田は、田町だけではなく田端の田でもあるようです。



ちなみに田町という地域名は、田んぼだった所にできた町に付けられる事が多いそうで(山手線の田町も)、 田端が町になった→田町に町名変更 というのは、すごく自然な成り行きではないでしょうか。



…とはいえ、田端も田町も、平凡な名前だし、町名に田を残す必要、無かったんじゃ?



いや、分かってますよ? 複数の町が1つになる時、新しい町の名前でもめる事は。

そして、仲良くする最も手っ取り早い方法が、お互い1文字ずつ取って合わせる事だという事も。 (大田区も、大森+蒲田、だし)


でも、


「成宗のほうが、風格があって、高級そうで、カッコよくね?」


と思ってしまう私は罪でしょうか(^_^;)

五日市街道







おっ。 これは、杉並区名物(?) 金太郎の看板ではないですか。

この昭和の香りただよう看板は、杉並区内の、川に蓋をして作られた遊歩道に設置されたそうですが、だんだん数が減っているそうです。


こんなに細いのに公道なんだぜ!?

こういう細い遊歩道を歩いてみるのも楽しいものです。


それから…

先ほどの遊歩道とは違う道ですが、この道も、くねくね曲がっていて、楽しいです。


この道も元々は川だったのでしょうか?

道の蛇行ぐあいが川っぽいですし… この道が成田町と松ノ木町の境である事も、町境になり得る地形であった可能性が高いわけですから。

そして、微細地形図を見てみると、この道がちょうど谷なんですよね。


川ではないにしても、強い雨が降ったときは、この谷に水が集まり、善福寺川に流れたのだと思います。

今もこの真下には雨水を逃がす水道管が通ってるかもしれませんね。


塀を使って花壇づくりを愉しんでるようです。


せっかくなので、接写して、ぱちり。


阿佐ヶ谷住宅は、もう解体済みでした。




善福寺川沿いには、阿佐ヶ谷住宅もあったのですが…

すでに取り壊されたようですね。



地図上では残っていますし、ストリートビューでもまだ見れますが、やはり生で見たかったなぁ。

もう1~2年早く、阿佐ヶ谷住宅の存在を知っていれば…と思いますが、過ぎ去った時は仕方がありません。


まぁ、最近まであったという事は、ウェブ上に写真もいっぱいあるという事でありますので、興味のある方は、検索してみてはいかがでしょうか。

阿佐ヶ谷住宅を扱ったブログやサイトもいっぱいあります。 ゆえに、阿佐ヶ谷住宅とは何か…という事も、ここで書く必要が無いでしょう(おい)

阿佐ヶ谷住宅とは何かを一文で表すならば、赤い屋根のテラスハウスが特徴的な、日本住宅公団初期の作品です。






では、このブログとしては何を載せるか…

リニューアル後の完成予定図が公開されてますので、そのリンクを載せることにしましょう。

http://www.nomura-re.co.jp/cfiles/news/o2013091100002.pdf
(PDFファイルです)

…つまらん(-_-;)

現代的で、ごくありふれた普通のデザイン。 やっぱ現代日本では、遊び心というか、変わった事はできないようで。

阿佐ヶ谷住宅が奇跡と言われ、多くの媒体で紹介されているのは、個性的なデザインの美しさと、画一化していく現代への憂いなのかと思います。


私も、懐古主義にひたるのは嫌なんですけどねぇ…  老朽化したものを解体改築するのは当然の成り行きにしても、奇跡と言われた団地をリニューアルするのですから、新しい建屋にも、やっぱり何かしらの芸術性というか、遊び心が欲しかったなぁ。 と。



最後は、善福寺川の看板にある、ちょっとした遊び心で、締めたいと思います。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました!



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